Monday, March 31, 2008

春休みもう終わった~今日学校へ戻った

今日は春学期の初めの日。本当に戻って良かったけど、なんとか、少し物足りない気持ちがしてた。どうしてかと考えれば、まぁ、もう彼は学校には私と一緒にいないからだろう。前学期は、ほとんど毎日授業の後で会いにきてくれて、二人はスタバたり、ブラブラしたりしてた。今はもう出来ないのよ…

うわぁ~金曜日まで待つより仕方がないの!さびしい…

Saturday, March 29, 2008

すべての女性は彼氏から花などのプレゼントをもらうのが好きだろう?

今晩、電話で彼と話してた。学校や仕事について話しているうちに、彼は「いやぁ、今金もないので、君に花を買ってあげることさえ出来ないのだ。困ってるな・・・」と言い出した。私は、「大丈夫だよ。実は、花などいいけど、私には別に。」と返事したが、「え?だって、すべての女の子が好きじゃないか?」と彼はちょっとびっくりと言った。
まぁ、その考え方が少し時代遅れじゃないの?自分は子供のごろもドレスやピンクの服やバービー人形など嫌いだし、ほとんどの友人も男の人だし、あまり女らしくなかったから、こんなに思うだろう。実は、スカートをはいたりドレスを着たりするこどでセクシーに見えることに気づいて初めてもう少し女らしくするようにしてきた。それでも、今もよく口汚いののしり、女性向け映画があまり好きじゃなく、とくにワガママな女性という女の人じゃないのだろう。
私には、花よりも、ただ彼といると嬉しい。たまにな、小さい″愛情の証″をくれればいいだろう。また、私にとって何らかの意味を持つものの方がいいと思う。なんか、たとえば私が日本文化に興味を持っているし、安くても漢字が刻まれたものとか、日本語を書いたものでいいのだろう。
花をくれるのが嫌いというわけじゃなくても、別に好きじゃないと思う。

親の宗教的信念のせいで死んだ女の子

このニュースが最近ネットで広まっていた。こんなことを聞いたことあるけど、私に怒るのは現在も依然としてそういうこともあるのだ。なんて許されない無知なんだよ!あの親は医者に連れて行く代わり、娘のために祈りしかしてあげないことにした。本気で信じるかどうか構わなくて、あんな過失が罪と同じだ。
…と思っている。

Tuesday, March 25, 2008

翻訳練習:「自白」(続き)

水を飲むだけ飲んだ時、急に音がパッと消えた。すごく優しい感覚、あったかい感覚、まるで何かに抱かれているような感触があった。どう表現すればいいのだろう。僕は、それまで味わったこともない安堵感に包まれていた。
その直後だった。走馬灯が回り始めた。生まれてからの記憶がこと細かに、順番どおりに、頭のなかで回って行った。
初めてのことだった。感じたことのない恐怖を味わった。間違いなく死ぬ。そう思った。
だが、僕は死ななかった。
それ以上降、死にかけるたびに走馬灯が起こる。死ぬかもしれない状況。交通事故とか、ケンカとか、それはたいがい突発的に起こる。
それが15回。少し多いかもしれない。
それほど僕はヤンチャな少年だった。自分がから死へと向かう頃向があった。

Then, as I could do nothing but swallow water, suddenly all the noise vanished with a “Pa!” There was an amazing sensation of tenderness; a warm sensation, like the feeling of being embraced by something. How should I describe it…? Until then, I had never been surrounded and enveloped by such a feeling of relief as that.
It was immediately after that… when the phantasmagoria started to flow. Memories from my birth in fine detail, one after the other, sequentially spinning in my head.
That was the first time. I had never tasted such fear before. There was no doubt that I was going to die…or so I thought.
But, I didn’t die.
From there, every time I came close to dying, the phantasmagoria would occur. Whenever I might die, those were the conditions in which it happened. Things like traffic accidents, fights, it was at those times that it was most likely to suddenly appear.
15 times…more or less.
To that end, I was a troublesome boy. I wanted to face death myself.

溺れた時は、ひどく怖かった。根っこの部分では、死ぬことを、おそらく、猛烈に恐れていたのだと思う。でも、同時に僕は死にとらわれていた。摑まれていた。死に近づいてみなければ、死は見えない。ギリギリまで近づいて、見極めたい。いつもそんなことから、自ら危険なことをわざとしていた。死ぬんじゃないか?
ということを何度もしている。もちろん、いつもすごくビビっているのに、その瞬間が近づいてくると、安心しているもう一人の自分がいる。
もう少し。もう少しで、答えが見えるかもしれない。そんな感覚。このレベルじゃまだ死なない。この程度だったら、まだ、やれる。まだ、やれる。もっと先の世界が見たい。そうやって自分自身を奮い立たせるところがある。
例えば、僕はバイクが大好きで、10代の頃はよく乗っていた。カーブの多い道を、当時の僕は、異常な攻め方をしていたと思う。それは、技術があるのではなくて、このレベルだったらまだいけるという感覚があったからだ。その感覚が大好きだった。スピードをグイグイ上げ、ある領域を超えるとすべてがスローに見えてくる瞬間がある。周りのすべてのものがゆっくりと見える。その感覚が長くなればなるほど、ものごとがクリアになっていくように感じる。

When I drowned, I was horribly frightened. Part of the reason[root], I think, was that I was violently afraid of death. But, at the same time, I was obsessed with it. Trapped by it. If I didn’t try to get close to death, I couldn’t see it. Until the last possible instant I would draw nearer and nearer, needing to see it for myself. Always because of such things, I intentionally put myself in danger. Would I die? I did things that made me wonder that again and again. Certainly, I was always terribly afraid, but still, as I approached that instant, I was calm and there was only me, myself alone.
A little more. Just a little more, and maybe I could see the answer. Such a feeling…This ‘rebel’ would not die yet. When I was at that level, still, I could do it. Still…I wanted to see more of this former life[afterlife?]. Doing like that, there were times I could cheer myself up.
For instance, I loved my bike, and when I was about 10 years old, I often rode it. During that time, I think that I had a strange way of just ‘attacking’ the many curved roads. I didn’t have any technique, but I felt that I was a rebel, so I could still do it. I loved that feeling. Building speed, and crossing over some region, then, there was an instant where I saw everything in slow motion. I saw the entirety of my surroundings like this. The longer the feeling lasted, the more it seemed that everything became clear to me.

PBS: Frontlineという番組

この話しは新しくなどなくても、気掛かりな情報はあるのだ。見てくださいね。

PBS: Frontline 

そして、リンクのセックションにもあるよ。

Monday, March 24, 2008

人工の眼

MSN Japanのニュースで聞いたところだ。本当にすごいよね!その記事によって、Boston Retinal Implant Projectが人工の眼の移植の試作に成功したそうだ。それで多くの視力を失った人々にはある程度見られるようになるわけだろう。しかしどの失明した人にでも視力を治せなくても、まだ喜ぶべきことだろうね。

コレは教育なのか??

いつも怒ってごめんね。でも、下のビデオのようなものを見ると、怒らずにはいられないんだよね。


ゼンゼン分かんないよ。なんで子供たちに「これは聖書にはないので、きっと違いますよ」かなんかと言ってしまうのか?全く…教会でそんなくだらないことを教えているなんてもういいんじゃない?初めての生物学のクラスの前にも、やみくもに「聖書なら真実だ」とか言われたら信じなかった。また、「科学の教科書なら真実だ」とか言われても必ずしも信じるというわけじゃないけど、でもこんなものは立証できるし、論理的だから信じられるのだ。
…と思ってる。

Saturday, March 22, 2008

え?「論理」って?何?

The Onion: ”Skeptic Pitied”


ふふふ。。。実は、そんなこともあるよね。

翻訳練習:「やさしい記憶」MUCC

*ダウンロード*


『やさしい記憶』MUCC
Gentle Memories – MUCC


真っ白な息を遊ばせて僕ら
自転車に君を乗せストーブを買って
何も無い部屋で二人うずくまって
『もしも』 なんて話しを飽きずに朝まで。

We let our pure white breaths mingle idly
I took you out on my bicycle, and bought a stove
Holed up in this empty room,
we just talk to each other about “what ifs”, clear through to the morning, without growing weary


あれから何度の冬を数えただろう?
僕らは散り散りになってしまったけれど
あの日のバカげた話しの続きで
『もしも』 今君がここにいてくれたなら。

From that, I wonder how many winters have passed…
Even though we’ve come undone, frayed at the edges, what comes after all the ridiculous conversations we had back then,
the “what ifs”… now, if you were here with me…


空一面に広がった粉雪よ
今降り積もれ降り積もれこの心に

Oh, the powdered snow, spread across the sky
Now its falling, piling thickly upon my heart


夏に忘れた花火思い出してはしゃぎながら公園へ鼻を赤くして
雪を照らして浮かび上がった影
銀世界、名残り花火、君のいる景色

Thinking back on forgotten summer fireworks, running and dancing out to the park, our noses red…
The snow is glistening, and shadows emerge
A silver world, traces of fireworks, a vision of you here with me


ねぇ粉雪よ 君の記憶を隠してよ
こんなに優しい記憶を今見せたりしないでよ

Ahh, powdered snow, hide my memories of you
Just don’t do it like this, don’t show me those gentle memories


月日が過ぎ去って行くたびにやさしい記憶しか残らなくて
今ここに居てくれないのなら なにも見たくないから

With each month that passes, only those gentle memories remain
If you’re not here with me now, then I don’t want to see anything at all…


空一面に広がった粉雪よ
今降り積もれ降り積もれこの心に
この大空を包んだ粉雪よ
さぁ降り積もれ降り積もれこの心に

Oh, the powdered snow, spread across the sky
Falling, falling and piling thickly upon my heart
Oh, powdered snow, embracing the vast sky
Ahh, yes, its falling and piling upon my heart


白く白く

Its becoming white, ever whiter

Friday, March 21, 2008

PharyngulaのPZ Meyersを「EXPELLED!」という映画の上映からEXPELLED!

そういうニュースを聞いたばかり…

全く…

どれほどバカなのか?もう、どうしてPZ Meyersしか追い出されなかった?上映にやってきた進化論者の中、Meyersだけではなく、Richard Dawkinsもいたそうだ。後でQ&A中にDawkinsが「Expelled!」のプロデューサーのMike Mathisに「どうしてMeyersさんを追い出した?」と尋ねたらしい。さぁ、せっかく無料の上映から同じ映画で特集されたMeyersを追い出したので、頭の良い人の皆も追い出せばよかったよね。
…と思ってる。

アップデート:New York Timesの記事 

アップデート2:


マジ@_@

Thursday, March 20, 2008

不思議なビデオ

いつも創造的なMoonKeyさんの作った「唯言」というビデオ。


さすが、とっても面白い!

Wednesday, March 19, 2008

もっと翻訳練習

ガクトの「自白」(第2段落から)続き

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「『明日はピアノの稽古よ』
『練習しなさい』
太陽の強い差し。ピアノの鍵盤が汗ですべってーー。
時間軸でいえばほんの数秒のことだろう。その間に、膨大な記憶が猛スピードで頭の中を駆け巡っていく。これまで生きてきた瞬間瞬間の記憶が鮮明な映像となって走馬灯のように回り始める。
僕は死ぬんだろうかーー。
そんなことが、僕にはこれまで15回ほどある。

初めて走馬灯が起きたのは7つの時だった。
僕は沖縄の海で溺れた。波に飲まれて、苦しくて、もがいてももがいても、とにかく足が地面につかなくて、頭の上にものすごい勢いで波が動いているのが見えた。ドンドン水中に引っ張られていく。息を吸おうとしても、塩辛い水が口に入ってくるのだけだ。

“You have piano lessons tomorrow, you know.”
“Please practice.”
The fierce sunlight. The piano keyboard is slippery with my sweat…
To speak of it along an ‘axis of time’, I’d say it was only a matter of seconds. And in that interval, huge memories rushed out from my head with ferocious speed. Until that, the memories of all the moments I’d lived were crystal reflections, but then they began to swirl round like a phantasmagoria.
Perhaps I’m dying…
By then, such a thing had happened to me 15 times already.

The first time the phantasmagoria appeared to me was when I was 7.
I drowned in the Okinawan Sea. I was swallowed by the waves, suffering, struggling and struggling, but still my legs wouldn’t reach the ground, and above my head I could see the waves moving with such tremendous, terrible force. Rapidly I was drawn away into the water. I wanted to breathe, but only the saltwater entered my mouth.

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Monday, March 17, 2008

ふふふふ~

正しそうなもののために使っても、間違う科学は…まだ間違う科学ばかりだ

科学とは完成に中立である。例えば、「これは良くて、それは悪い」とか、「皆とうまくやりなさい」とか、絶対言えないのだ。また、一番いい暮らし方とか、どんな生活のほうがいいかと決めることが目的ではない。それでも、「これは論理的でも、それは論理的ではない」とたしかに言えるのだ。科学は目的が現実のことを説明することだ。

だから、動物愛護の活動した人たちに(Skeptic Magazineの記事から)、「動物実験は悪事だ!その上、人間と動物の違いも広すぎるし、コンピューターモデルだけ使ってもいいし、実は科学や医学を進めることさえできないのだ!」と言われると、そういう気持ちが分かる気がしても、私は賛成できない。必ずしも動物実験の方法の全てに賛成するわけではない。これどころか、わけもなく動物をひどく扱ってしまうことが多すぎると思っている。でも、動物実験は悪いということにならない。倫理的に言えば、どれほど無事に他の方法が使えるか、どれほど不必要に苦しめずに動物を使った実験するか、決めなければいけない。科学的に言えば、現在も動物実験は最も役立つ実験のタイプだ
…と思っている。

Sunday, March 16, 2008

怖い!怖い!怖…くない?



Pharyngulaで見つけた

ちょっとアメリカの政治や教育について

あまり政治とか興味がないけど…


だって、何なんだよ!? これ=>http://webserver1.lsb.state.ok.us/2007-08bills/HB/HB2211_HFLR.RTF 冗談じゃないのか??先に聞いたフロリダ州の法案の同じようだろうね。しかし今回は ″Academic Freedom Bill″と言われるかわり、″Religious Viewpoints Antidiscrimination Act″と言われちゃった。どう呼ばれても、こういう法案はきっと現在のアメリカ公教育の状況をもっと悪くさせるばかりと本気で思っている。公立学校の授業には宗教など全然ふさわしくなくて、また科学の授業で教えられるのは立証できない迷信のかわり最新の科学的事実を反映すべきだ
…と思っている。

Saturday, March 15, 2008

はじめ

いや~、こんなブログか日記かなんか始めると、いつもすぐにどんどん興味がなくなるようだね。どうしてかというと、まあ、私がちょっとなまけたからかな。と言っても、実はこのごろ学校や″現実″という生活などで忙しくて(笑)とにかく、はじめのブログは、もう少し私のことについて書きたいと思ってる。
プロファイルには「日本語を専攻している」と書いたね。そう、卒業の後、まず日本で英語教師として仕事をするつもりで、そのうちに翻訳家になりたいと思う。今も、歌詞とか記事とかショート・ストーリなどを翻訳する趣味がある。よく何時間もある書類を翻訳して過ごすこともあって、私にはそんなこと面白くてとっても楽しい。だから、まだあまり上手になってないけど、フィードバックがもらいたいので、たまに訳文を投稿しようと思う。それで日本人の皆様、そして私より日本語が上手な人の皆様も、訳文やブログを見て直してくれれば本当に感謝するよ!よろしく!

と言うことで、今回は今やっている翻訳″プロジェクト″からの短い抜粋で始める:ガクトの「自白」

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第一章 出生
Chapter One: Birth

幼少期の臨死体験と隔離病棟生活
Childhood Near-death Experience and Life in the Isolation Ward

「僕は、ゆりかごの中にいる。ゆったりと揺れながら。ぼんやりした視界。僕をのぞきこむ親の顔。その頭の上でオルゴール音を奏でるベッドメリーがカラカラと回っている。
次の瞬間、1歳の僕、2歳の僕、3歳の僕…その時々の記憶が、生々しく鮮明(せんめい)に次々と蘇る。ハイハイしている僕。不安定で歩く僕。覚えた言葉を一生懸命、言おうとする僕。うまく言えない。
『マ…マ…』
セリフもそのまま蘇る。

I am inside the cradle. Quietly, it sways. My field of vision is hazy, blurred. My parents faces, peering in at me. Above their heads, the sound of a music box playing, and a “bed melody” drifts out as it turns round and round.
In the next moment, I am 1 year old…2 years old…3 years old…the memories of each time are resurrected in vivid, life-like succession. Me, as I am crawling. Me, as I walk on unsteady legs. Me, trying with all my might to voice the words I have memorized . But I cannot speak well…
“Ma…Ma…”
Like that, even my utterances come back to me.
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お願い!